「火に闇を注ぐ  田中真吾展によせて」

彼は長い間、火を見続けてきた。
それは人類が火に魅入られる性質を持っていることを踏まえたとしても、余りあるくらいの時間だ。
彼にとって火は飽くことのない研究対象であり、同時に火そのものを描画材料として扱うこともある。
作品は繊細で静けさを感じさせ観客に一定の距離を取らせるように思う。
それは単に幾つかの炭化した作品が脆く儚い状態であるからではなく、彼の制作に対する姿勢が
火の性質とは対照的であるからかもしれない。
そもそも火自体が勢いを持って焼き広がるため、それを調整する、熱量を抑えこむような慎重さと火に
流れを委ねる心が必要となるからだろうか。

しかし今回、彼は火が放つ光、照明としての火に焦点を当て、観客に燭台の灯りによって壁画を見
させることで観客と作品との距離感を変えようと試みている。
今までの作品が火の記憶や痕跡であるのに対し、いわば生きた火を取り込んだ作品は観客の手元に
熱量を感じさせながら、壁画と対峙させることになる。
実際の作品はというと、全体像を見ようとすれば暗く、細部を見ようとすれば燭台の灯りが視界に入り
邪魔であり、一見するに作品を見るには相応しくないと感じてしまう。
では、この相応しくないという感覚はどこから来るのだろうか。比較の基準としているのが電灯の下で
見る作品だとすれば、彼が表現しようとしているのは電灯以前の闇の中での物の見方ではないだろうか。
普段、均等に照らし出されることで多くの面が見えると私たちが思い込んでいることに気が付かされる。
実際はそれも一つの面でしかないのだ。
そして、目の前の壁画のイメージが徐々に重要ではなくなり、空間と自分と灯りの関係に作品の重心が
置かれていることにも気付いていく。
だとするなら灯りを床に置き、自分も腰を据えて、明かりだけではなく辺りを見渡すことをお勧めしたい。
それもまた一つの見方だと思う。するとまるで風の通らないお堂の中に居るようだ。電灯のない夜道、
灯りを手に歩き出したい気分に駆られる。そんな、物の見え方が少し変わる瞬間、そうした時に私は彼の
作品と観客との距離がはっきり変わったのだと感じたのだ。

人と火の付き合いは長い、人は火を様々な使い方をして発展してきた、その多様性に目を当てれば彼の
作品は人と火の付き合いのような深さをもち、より私たちを楽しませてくれるのではないかと期待している。



泉 洋平